上泉伊勢守秀綱新陰流

連日のように読書をしている。大体、一日で一冊。長いモノでも三日で読み終える。同時に3冊読んだりする場合もあるので厳密に言えばその数値はもっと複雑なものになる。場合によってはわたしは自らの脳みそに、それがわたしの理解を遥かに超えているようなものなのかどうか問いかける。そうである、と判断された場合には途中で放棄する事もやぶさかではない。また、それが雑誌であろうが評論であろうが小説であろうが何処からでも読める。いきなりページを開いて読み出すことも当たり前のようにやる。恐らく活字中毒なのであろう。英和辞典を読むときもある。常に先頭、つまりは「A」の欄から読み出すので毎回、同じところから読み始め大体同じところで読むのを止めてしまう。そういう身の周りに散らかっている書籍に目を通してしまい、それでも飽き足らないと製品の後ろに書いてある製造番号や製造国などが書いてある箇所を読み出す。そういうモノを読んでどうするのかはさっぱり分からないが、そんなことを考え出すとナニをするにも意味を見出さなくてはならなくなってしまうので、分からないままで放置する。そんなことを右脳の奥の方でツラツラと考えながら戦国時代の剣豪で武将でもある「上泉伊勢守秀綱」の本を買う。この人は新陰流の創始者でそれが二代目の柳生但馬守宗厳に伝えられ柳生新陰流となるのである。とは言ってもわたしはそういう所にはほとんど興味がない。ただ後に「剣聖」とまで言われる秀綱の人柄を知りたかったのとこれはあまり大きな声では言えないが、彼の修行法を盗もうとしたのである。読んで分かった事は半端ではない訓練を長年積む、ということだけだった。・・・そうなのだ。考えてみれば他に何があろうか?

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