チェコVSギリシア

27月 - による black999 - 0 - 2004

午前3時には目を覚まし、サッカー欧州選手権、チェコVSギリシアを見る。大方の予想を覆しギリシアが勝つ。しかし、試合自体は少々、退屈であった。その後、スポーツ新聞を買いに行き隅々をチェック。風呂に入りしばし楽器をいじっていると眠くなってしまい再び就寝。2時間ほど寝ると再び起床。就寝、起床、就寝、起床、時に狂騒と悲哀、再びの就寝と起床。この永劫回帰。時間の感覚を失う。その上、ウィンブルドンもやっている。先日、杉山愛が初のベスト4進出をかけて試合をしていたのでテレビにかじりついて見ていたのだが相手のマリア・シャラポワの美女具合に興奮し、いつの間にかわたしはマリアを応援していた。戦時中であれば非国民的な振る舞いとして、憲兵に連行されてもおかしくない状況だが、この現代社会において国境がどうした、民族がどうした、ということはもはや問題にはならない。そもそも普遍的な美しさの前には国家も民族も宗教も主義も父上も母上も盆も正月もなんら意味を持たないのである。少なくともわたしの場合には。道徳なんてものはもってのほかである。そういえば幼少の頃、道徳の授業の時にはよく廊下に立たされていた。あれは今にして思うとわたしの生来の道徳嫌いがああいう事態を引き起こしていたのであろう。「犬のおまわりさん」を唄いながら”まいごのこねこちゃん”が実は戦災孤児で、探しても見つかるはずもないのだ、ということを感じ、やがては”いぬのおまわりさん”が”まいごのこねこちゃん”を養子として引き取るが犬と猫の間柄では世間の目も冷たく、やがて不良少女になってしまい夜の繁華街を一人うろつくようになるであろう”まいごのこねこちゃん”を思うと、つい涙してしまったほど感受性が高かったわたしには、道徳の授業はあまりにも子供じみたモノであったということも考えられる。感受性と道徳に何か関係があるのか?という疑問が湧くが、それは今は問題にすべきことではない。女子テニス会には他にもダニエル・ハンチュコバやアンナ・クルニコワといった美女がいる。こういうのは深夜、疲れた目でテレビ観戦している人間の目には非常に有難く、優しい。8月になればオリンピックが始まる。夏は夜。寝ている場合ではない。

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