悪魔辞典

「悪魔辞典」を購入。これはなかなかヘビーでワクワクする本である。あまりにも数が多すぎて一人(?)一人の 悪魔に割り振られているスペースが少ないのだが致し方あるまい。世界の神話は勿論、宗教、伝説、フィクションの 悪魔までもが入り乱れて、その数は456。これは楽しい。世界の神話辞典と並んでわたしの夜のお供になりそうだ。こういうものは寝る前にじっと見ていると興奮して眠れなくなる。。 人間の恐怖とは一体、何に根ざしているのであろう?実はわたしは窓が少しだけ開いていたり襖が少しだけ開いていたりするのがたまらなく嫌だ。そこの隙間から何かがわたしをじっと見ているような気がするからだ。顔を正面に向けていてそれに気づいた場合には躊躇することなく閉める。または完全に開けてしまう。わたしの後ろの戸が少しだけ開いていると感じるときにはわたしは絶対に後ろを振り返らない。目が合ったらどうするのだ?しかし、万が一、目が合っても心配するには及ばない。わたしは自分がそのような得体の知れないものよりも強い力を持っていることを知っている。最悪の場合には「陀羅尼、陀羅尼、陀羅尼」と唱えればよい。わたしは金縛りにあった時などは幼少の頃よりそうしている。

ところでわたしの実弟はその肉体美故か、風呂場を数度のぞかれている。のぞいている人間と目が合ったこともあるそうだ。季節は夏で窓を少し開けたまま入浴していたらしい。不図、目を窓のほうに遣るとギョロッと動くものがある。よくよく見るとそれが人間の目玉であることが分かったのだそうだ。その瞬間、声も上げずにお互い目を合わせたまま、しばし固まったらしい。わたしは風呂上りの弟からその話を聞いたときに羨ましい、と思ったことを憶えている。読みかけの本を閉じもせずにわたしは弟に尋ねた。「きみはのぞくのとのぞかれるのどっちがいい?」弟は少しためらった後で恥ずかしそうに言った。「のぞく方がいいかな・・どちらかと言えば・・・」わたしは「そうかい、それでは災難だったな。」

わたしにはのぞき趣味の醍醐味は分からない。わたしはどちらかといえば・・・いや、明らかに露出狂の部類に属するからである。ともするとわたしの隙間に対する恐怖も心の深い部分での願望が間違った形で現れたものなのだろうか?

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