松陰神社

今年はまだ正式に神社に行っていない。正式といっても別に身を清めるわけでもないし、正装をする訳でもないのだが。 毎年足を運ぶ神社は夜に行ったら閉まっていた。よっておみくじも引いていない。 その神社のおみくじには七福神の人形のいずれかが入っていて去年は大黒様だった。 その前は2年続けて毘沙門天だった気がする。もう20年近くもそこのおみくじを引いていたので なんだかしっくりこない。今年は一体なんだったのだろう?たかがおみくじなのだが、されどおみくじなのだ。 松陰神社というのがある。神社は神様を祭るところなので松陰は神様だ、ということになる。 こういう例は世界でも珍しいらしい。平将門、菅原道真、など現実に存在していた人間が神様として祭られるのである。 その手の本を読むとこれは日本人の「怨霊信仰」に基づくものらしい。この世に恨みを残して死んでいった人を 神様に祭りあげ、なだめてしまおう!という作戦である。実際、明治になっても「雨月物語」の「白峰」に出てくる 崇徳上皇の霊をなだめるために明治天皇でさえご機嫌伺いをしている。それほど、怨霊は怖い!という観念が我々に刷り込まれているのだ。 お祈りをして霊をなだめ、ナニかあった時には助けてもらおう、という魂胆かその辺のところは分からない。 わたしだって日ごろは「為せば成る・・・」とは思っていても「イカン、もうイカン!」と言う時にはすぐに神頼みへと走る。 時には呪術にさえ走り、闇の力に頼ることさえある。そんな事を考えつつ、「伊達政宗」を読むと政宗のお師さんである虎哉禅師が「おまはんらの大事な井戸に石が投げ込まれ, 水が止まってしまった。さて、どうするかな?」と 家臣に尋ねる場面があった。考えた後、家臣の一人が恐る恐る言う。「石をどけまする。一人で足りなければ皆で力を合わせて石をどかせまする・・・」 これを聞いた虎哉禅師、大喜び。こういう時にお祈りなどしても無駄なのである、と。