渋谷の乙

今日は渋谷の乙(きのと)でわれらがRock’n’Rollの詩人、ウッチャンのライブ。わたしも一曲だけ何故か、キーボードで出演。一体何故に?しかしながら、わたしは勝手にアル・クーパーかあるいはビリー・プレストンになり切っていた。ウッチャンがバンドで唄うのを見るのは久しぶり。彼は心地良さそうに唄っていた。演奏も上手だし、ダビデとはまた違うウッチャンの姿が見られ、おくゆかし。彼の歌い方はどこか民謡的で情緒がある。今度は「竹田の子守唄」を唄って欲しい。二人だけのときでいいから耳元で囁くように唄って欲しい。わたしは徐々に目を細め心地よい眠りの世界へと旅立てるだろう。やがてうっとりとしたわたしの指先は彼の・・・を・・・・そして・・・まどろんだ・・・魅惑の・・・。演奏が終わると打ち上げ。帰宅し、新しいパソコンをいろいろいじるがあまり分らないので本日の作業は放棄し「仏教美術入門」を読み、悪魔研究にいそしむ。

BLUE VELVET NIGHT

渋谷、(青山?)にある「青い部屋」で鳥井賀句氏が行っている「BLUE VELVET NIGHT」を見に行く。去年の8月にDAVIDTIOが出演させてもらってから毎月、ほとんど見に行っている。本日のバンドはNAHER SHALAL HASH BAZ、チコヒゲ&THE UNIT が出演。ダンスで出た小川さんが民族的な舞踊を披露する。とてもセクシーで酔いしれる。また、詩人のジョンさんが被っている狼の頭が実は全身着ぐるみのものであり、しかも特注で作ったので非常に高価なもであるということが判明した。触らせてもらったのだが目がとてもリアルで牙も凄い。「狼少女」だ!本日は物凄い客の数でうかつに動けないのでVIP席にて催しを楽しんだ。音やら詩やらダンスそして映像が乱れ飛ぶ、マルチ・アートな世界はとても楽しい。それぞれの分野で自分の世界や表現を試みているのを見るのは非常に刺激的だ。
ライブハウスというとバンド演奏と言う風に想像しがちだが決してそんなことはないはずで色々なものがライブで楽しめるのだ。いろいろな大変なこともあるだろうが鳥井氏の試みは素晴らしい事だと思う。特にオールナイトの時などは身体に気を付けてこれからもガンガンやりまくって欲しいと切に願うばかり。
帰りがけにDarkside Mirrorsのショウサク殿に会う。新年の挨拶の後、激しい抱擁を交わし再会を誓う。

Bunkamuraはメトロポリタン美術館展

今日は渋谷Bunkamuraで開催中の「メトロポリタン美術館展」に行く。何が来ているのか全く調べずにピカソがあるからいいや、位の気持ちで行ったのだがモディリアーニの「横たわる裸婦」、シャガール「恋人たち」に特に心を惹かれそればかりを見ていた。もちろん、ピカソも最高で「白い服の女」、「テーブルで読書をする少女」には見入ってしまった。「白い服の女」は今回の72点の中では攻撃的な絵が多い中、最も優しく、いくら見ていても飽きないような自然な感じがあった。実際、その絵の側にソファがあったので横たわって30分ほど見ていた。やがてうつらうつらしてきて眠りそうになったので恥ずかしい思いをする前にそこから移動した。シャガールの「恋人たち」は画集では見たことがあって大変好きな絵であったのだが、まさか今回展示されているとは思わなかったのでその絵に対面したときには驚いた。「うお!」と声を発するとしばし直立不動。その後、「わたし」という名の船は更に北北西に進路を取る。そしてモジリンの「横たわる裸婦」とのご対面。正直、モジリンは今まであまり興味がなく、悲劇の画家で面長の女性の顔を描くという記憶しかなかったのだが、これには驚いた。今回の展示品の中で最も絵が持つ力を発揮していたのはこの絵ではないだろうか?もっともなまめかしく、いやらしい(岡本太郎風)。


 今、手元に今回のパンフレットがあってその中にもこの絵の写真があるのだが、実物のもつ異様な迫力とは比べようもない。呪われた画家たちの一人と言われ、貧困と孤独と絶望の中で彼が残したこの「横たわる裸婦」は人間の生の喜びに満ち満ちている。一体、画家の幸福とはなんであろう?創作者が作品でしか語れないなら彼は間違いなく幸福である。そしてもっと言えばわたしはその瞬間、幸福であった。その時、わたしの中に不埒な欲望が巻き起こった。”あぁ、この絵を強奪したい!そうだ!強奪してしまえ。この絵を家に飾って毎日、眺めるのだ”わたしはフラフラと絵に近づいた。指先が額縁に触れようとしたその瞬間、もう一人のわたしが囁いた。”みんなにもこの幸福を分けてあげなさい”・・・寸でのところでわたしは思いとどまったのだ。わたしの尋常ではない目つきに気づいたのか、警備員が近寄ってきた。わたしは咳払いをすると両手を広げ敵意がない事を示す為に警備員にウインクをした。彼は了承したのか、わたしから離れていった。出口へ向かう事、三度。その度に引き返しては「横たわる裸婦」だけを見て満足しては出口へ足を運んだ。3月までやっているのであと二回は見に来ようと心に誓う。帰りに画集を買おう、と思うが本物を見た後はやはり画集では物足りない。そこで「ヴィトゲンシュタイン」という彼の人生、哲学が載っている本を買う。

家に着くとチンチラくんが遊びに来て”ディラン最高!”ということで盛り上がり、二人でジャカ、ジャカやる。今度の28日にはチンチラくんが渋谷でライブをやるとのこと。楽しみだ。

マーブルシープがNHKのFM公開録音

本日はマーブルシープがNHKのFMラジオの公開録音をする、ということでボブ殿(ステージでギターと性行為を行う奇人にして貴人)とスタジオ505へ潜入。散々迷った挙句、裏門から浸入。裏門と聞くと興奮するのは一体どうしてだろう?などと考える暇もなく、我々は声をひそめながら階段を忍び足で昇る。ちょっと遅れて指定された場所に到着すると演奏している音が聞こえる。出た!マーブルシープだ。我々は正体がバレヌようにこっそりと前のほうへ移動する。広いステージでは松谷殿がこれでもか!とジミヘンばりに壮絶なギタープレイを敢行している。ツインドラムの威力も恐るべし。最後には何だか可愛いマービイちゃん(?)という羊の着ぐるみが登場し、愛嬌を振りまいているようだった。が、我々の心の内にはその壮絶なステージプレイと可愛いマービイちゃんとの間にはあまりに落差があり過ぎ、なおかつ、着ぐるみの正体も薄々感じているだけに謎や疑惑が思いっきり広がった。こ、これは一体・・・?これこそサイケデリック・ロックの新しい展開かも知れない。などと考えつつ小雨降る中、NHKを後にする。

最近、また忍者に夢中だ。子供の頃は忍者になろうと考えたこともあった。表と裏の顔を持つ姿に憧れたのであろうか。壁歩きや水歩きは勿論、手裏剣、忍者文字の練習もした。そんな事、出来るか!などと決して考えずに今でもその練習をしたい欲望がわたしの中にはある。わたしのお気に入りは風魔の小太郎。これは完全に白土三平の影響で決して正体を明かさず、無茶苦茶に強いイメージがあるからだろう。といっても全て漫画からのイメージであるところが恐ろしい。大人になるにつれて忍者の世界はとても厳しいものだと知った。

快楽も喜びも全て脳

あなたはこの世に悪魔はいると思いますか?・・・世の中は合理主義、まっしぐら。そんなものいる訳ないぜ!悪魔?寝ぼけたこと言っていると取り残されちまうぜ!おぉ、犯罪者は牢屋にぶち込め!猥褻罪は見せしめにしろ!最新の衛星を飛ばしてあるので世界中の情報は手にとるように分ります。あなた方は嘘をついていますね。ガタガタ言うなら戦争をおっぱじめましょう。そっちがそういう態度ならこちらはいつでも宣戦布告の用意があります。・・・狂った牛は全部焼け!何?幽霊が見えた?疲れているのです。精神分析をいたしましょう。カウンセリングを受ける事をお薦めします。悪魔?まだ言っているのですか。いいですか?今や、インターネットで世界中が結ばれています。人間は日に日に進歩していきます。徐々に間違いも減って行くのです。やがて正しい事しかしないようになりますよ。孤独なんか感じてはいけません。バーチャルがあなたの心を癒してくれるでしょう。さぁ、おっぱじめよう。爆弾を落としましょう。膿は除去すれば治ります。人は病気になると病院に行って治すのです。脳です。人間は脳で全てを知覚します。快楽も喜びも全て脳で感じているのです。1+1は2です。絶対に3にはなりません。

「悪魔の最もみごとな狡知は、「悪魔などいない」と信じ込ませることだ。」 by ボードレール

名古屋クアトロと睡眠民族

18日は名古屋へ行って演奏をしろ、との勅令を受け早朝に起きて名古屋に潜入。名古屋のクアトロにてROCKする。しかし、先週から犯されている風邪がぶり返し体調は最悪。舞台は精神力で乗り切るが演奏が終わると床に転がって睡眠。帰路の車中でも睡眠。家路につくとまた睡眠。完全に睡眠民族と化す。W-1でホーストがプロレスでサップに勝つ。勝敗はどうでもいいとしてもそのチャレンジ精神は素晴らしい。アーネスト・ビーストの誕生である。また、ブッチャーがサタヤンに勝つ。ブッチャーは67歳だ。それは驚くべき年齢でほとんど嘘のようだ。地獄突き一発で勝てるのであるから、いかにプロレスには必殺技が必要なのかよく分る。要は観客を納得させれば良いのである。逆にいうと納得させれらない技は幾つ持っていても意味がない。ハンセンのラリアート、ホーガンのアックス・ボンバー、ブロディのギロチン・ドロップ、猪木の延髄切り、馬場の16文。それらの技が出た瞬間に「終わった・・・」と思ったものだ。それまでがどんなに劣勢であっても全てをひっくり返すパワーがあるのだ。そして更にはその技が決まった瞬間は一幅の絵のように美しい。

INITIALS B.B.

本日は今年初めてバンドのメンバーが顔を揃えて練習をした。予定時間を15分ほど過ぎるとぞろぞろと集まり出す。一通り演奏してみる。皆、正月ボケで「間違っちゃった。うふふ」等と言う。その後、写真撮影を始める。誰が一番美しいのか、胸ぐらをつかみ合って議論する。わたしはいつも黒い服を着ている人が一番美しいと思うのだが。その意見に賛同するものは一人もいない。もう練習なんかしたくなくなる。そんなこんなで練習時間がなくなる。すると全員で「鬼畜の晩餐」と称するミーティングを行う為、最寄のロイヤル・ホストに行く。そこではビールを飲んではいい気分になったり、珈琲を飲んでいい気分になったりする。実際、練習よりもそこでの晩餐が好きな者もバンド内には多い。

本日の議題は「美男美女、あるいは異常性愛について~なぜサルトルはもてるのか?」だった。時に賛同の拍手が、時に激烈な罵声が飛び交う中、白熱した議論が行われる。一時、険悪なムードになるがわたしが本日、購入したセルジュ・ゲンズブールの「INITIALS B.B.」を提示すると皆、喜び仲良くなる。本日の議論の結果、全員がダンディな好き者だ、ということが判明した。家路に着き、レノン追悼ライブの番組を少し見るとバンド内ですでに感染者が出ている「眠い眠い病」に犯され寝てしまう。

胸いっぱいムツゴロウ-Whole Lotta ムツ

今日はムツゴロウさんをテレビで見た。久しぶりにテレビで見たその勇姿はいささかも衰えてはいない。今日は犬の特集か何かでやたら犬が沢山出ていた。犬は好きなのでじっとテレビを見ていたのだが途中で眠くなってしまった。 しかし、音声だけは耳に入ってきてムツゴロウさんがあの独特の声で喋るのが聞こえてくる。 「ハーイ、とても可愛いですねぇ、ウシャ、ウシャ、わき腹をこうして・・・もうぅぅ、服従のポーズですねぇ。尻尾もほら、 こんなに振ってマース。こうなるともう、どこに触っても平気です、うしゃ、うしゃ、あぁ、全部触って欲しくなりますね。 とても気持ちいいです。うひょー、あへへ、わたしは完全に服従のポーズです。ほら、もうわたし、完全に腹ばいです・・・」
 わたしは小さいときからムツゴロウさんが好きでムツゴロウさんの「ムツゴロウの・・・」シリーズはほとんど読んでいる。 ムツゴロウさんの生きる物へ対する情熱は凄まじくいつもわたしを圧倒する。若い頃の研究癖からか彼は徹夜に以上に強く 色川武大(阿佐田哲也)の随筆の中でも麻雀の強豪として度々現れる。1日、2日徹夜をした位からムツゴロウさんは強くなり 3日目にはトップに立っているとのことである。スタミナがあるということなのだろう。しかし、実を言えばわたしは麻雀をしないので それが何を意味するのか分からない。一昨年、那須でムツゴロウさんを見た。偶然、那須のムツゴロウ王国植民地に来ていてみんなに サインをしていた。サインは別に欲しくなかったが、「ムツゴロウさん、大好きです!」と言って走り去りたい欲望に駆られた。が、結局は 緊張の為、遠くから様子をうかがっていた。人間に囲まれたムツゴロウさんはどこか頼りなげで弱弱しく見え、あぁ、年を取ったんだなぁ。 と思った。ところがどうだろう。動物と一緒にいるときムツゴロウさんはかつてと同じパワーを有していた。
 ムツゴロウさん、今度、わたしの横腹をさすってください。

日記事始め

今年は日記と称し色々とふしだらな事や超常現象、あるいはマイ・ブーム、
21世紀についての個人的意見等を精密な筆致で書いてみることにした。もうはじめる事に決定したので飽きるまで書こうと思う。 今年は去年の12月くらいから発生した異常な哲学書欲の反動で沢山の漫画を読み耽っていた。 「バイオレンス・ジャック」、「グラップラーバキ」、「銀河鉄道999」、「聖凡人伝」、「I・L」の数巻を 適当に買って読んでいた。この中で「バキ」以外は古い漫画なのだが、「・・・999」のメーテルはいつみても 素晴らしい。大体において松本零士の作品出でてくる女性は皆、とてもエロティックで美しい。その中でもメーテルが一番肌の露出が少ないのでは?と思われるのだが、単純にそうなっていればエロティックであるということでは なく、それは微妙な線の曲線やキャラクターの性格に左右されるのではないか?と思う。だからといって、そういう方面のマニアだとか 言わないように。チラリズムとはこの場合、全然関係がない。
 マイブームは内田百間。最近、ちくま文庫から集成が再発されていてとても嬉しい限り。以前、よく読んだのだが 部屋の蔵書が大粛清にあい、その大半を失ってしまった。百間の魅力は1.怖いもの、2.随筆、3.電車モノに分かれると思うのだが 今は怖いものにはまっている。怖いといってもサイコ・ミステリーとかいうのではなくて、何だか分からない怖さ。夢何だか現実なんだか 分からない。恐らく書いている本人も分からない。訳が分からないというのはとてもヤバイ状態でこういう手合いが一番よろしくない。普通はそれが何なのか考えようとするのだけれども百間の場合は「何だか気味が悪い。」で済ましてしまう。
芥川と交流が深くて(共に漱石の弟子)芥川が百間の絵などを書いているし、随筆では芥川の最後の頃の生活なども書かれていて、 芥川マニアにもたまりません。