危険なナニかしら

 全く眠くない。まるで危険なナニかしらを注入したかのようだ。眠ろうとすればするほど眠れないのでもう、眠ろうという意識は消す事にした。本当に駄目になれば電池が切れたように場所を問わず勝手にぶっ倒れ、そのまま何処かへ行くだろう。そういえば学生の頃から白いものを見ると眠くなった。試験の時などは答案用紙を配られ、それを見るとそのまま眠くなり、寝てしまった。空を見上げていて雲を見ていると眠くなった。それに対し、色がついているものをじっと見ていても平気のようだ。不思議だ。そもそも、わたしは別に眠る事はそんなに好きではない。どちらかというとずっと起きていたい方だ。ただ眠りに落ちるあの瞬間だけはたまらなく好きだ。あの微妙な瞬間にわたしは一体どちら側にいるのだろう?わたしは絶妙なバランスの中で出来るだけその瞬間を楽しもうとする。やがて、そのバランスが崩れ自力ではどうにもならなくなり、わたしは自らの力の及ばない世界へとスゥーと吸い込まれていく。それはわたしの数少ない快感の一つだ。モーツァルトは「わたしは毎晩、死ぬ」と言った。ギリシア神話では「眠り」は「死」の兄弟である。その後に訪れる目覚め、そして再生。わたしが望むのは瞬間、瞬間のそれである。

BLUE VELVET NIGHT vol25

本日は「青い部屋」で行われているBLUE VELVET NIGHT vol25に行く。Johnny Thundersが大好きなダーク・ザ・ジャイアントのけーすけ殿と一緒にである。つまり、これは「紅薔薇騎士団」としての第一回集会も兼ねている。ここだけの話、「愛だけでいい会」はもう名称を変更してしまい「紅薔薇騎士団」という名前になった。変えた理由は「会長」ではなく「団長」になりたかったからである。深い意味はない。少し早く着き過ぎてしまい近くの「seat mania」という店に行き珈琲を飲む。ここは変わった椅子がいっぱいあって面白い。19:30頃に「青い部屋」に突入する。最初はこれまたダークつながりでダーク・サイド・ミラーズ。あぁ、ダークがいっぱいだ。ベースは年末まで弾いていたSEISHIROU。その名の如く、ダークな雰囲気と緊張感いっぱいの演奏。正式ベーシスト、早く捕獲出来るといいな。次はダンス。あぁ、二人も出てきたよ。岡田殿、武部殿、黒と白のコントラストでワタシ、お腹いっぱい。あぁ、今日は得したな、長生きはするもんだ、と思っていると次の KARMA VIOLENCEではローソク、縄が猛威を振るうSMロック?こりゃ、凄い!真っ赤なドレスの女性ダンサーは上半身裸になると露になった胸にローソクをたらすは、白いドレスの女性ダンサーはドレスを破られると縄で縛られているは、で大変。こりゃ、セクシー・ナイトだわい。生きてるって素晴らしい。これで2500円なんて安すぎますよ、お兄さん!こういう所であまり興奮しすぎると日頃のダンディぶりが仮面の告白になってしまうのでこの位にする。帰り道、こういう素晴らしい事も「平和」だからこそ、とつくづく感じた。こんなことが爆撃されている中で行えますか。いいえ、行えません。否、断じて否。今日なんかホント、ブッシュとフセインに見せたかった。「戦争?」いい加減にしてくれ。

ああいうのがいい

最近、あまり運動をしていない。筋トレなどは思い出すとやっているのだが、2週間くらい一生懸命やると物凄い筋肉を持ってしまったような錯覚に陥り止めてしまう。しかし、走る、だとか、泳ぐ、だとかそういう類のものはさっぱりやっていない。10年以上やっていないような気さえする。とは言っても子供の頃から走るのとかは得意なので100M位は全力で走れるだろう。おそらく、その日一日もう身体を動かすことは出来ないであろうが。そんな事をソファに寝そべりながら考えているとわたしの脳裏をミック・ジャガーが突っ走っていった。ジャガー。その名前は伊達ではない。彼は現在、60という年齢を迎えるにあたっても節制の取れた身体とステージを所狭しと走り回れるだけの訓練を積んでいる。”ああいうのがいい・・・”わたしはこれから夏場に向けて自らを律し”ああいう”状態になれるまで訓練を積みたいと思った。それに比べ数度、同性に風呂場をのぞかれた経験を持つ実弟は非常に美しい肉体を持っている。ボクシングをやり、北海道をチャリンコで一周し、ホノルルマラソンに数度出場し、なおかつスイミングスクールの先生までやり、現在サーフィンに夢中という人間である。並外れた大胸筋と僧帽筋があっちとこっちでコンニチワしながらもそれが決して嫌味ではなく、そのまったりとした上腕三頭筋が上腕二頭筋へと美しいラインを描き、ややもするとその存在が忘れられがちな大円筋、あるいは大臀筋などにもちょっとした思いやり程度に軽いエスニック風味のスパイスが添えられ、そのメインの核を為すミディアム・レアに焼き上げられた腹直筋が、スペインのとある小道の石畳よろしく晴れやかな面持ちでたたずんでいる。しかし、それほどの肉体を持った実弟ではあるが、いつも陸に上がったイグアナのように半開きの目で顔を少し上に向けながら部屋で座禅している。一見すると寝ているようにも見える。動くときも非常にスローモーだ。彼曰く、「筋肉が重過ぎる・・・」彼のこのところの望みはサイババに会うことだけらしい。

渋谷の屋根裏でダーク・ザ・ジャイアント

今日は渋谷の屋根裏でダーク・ザ・ジャイアントがナニをするというので彼らの破廉恥行為を見に行く。しかし、渋谷といえば「青い部屋」ばかりなのであっちの方へはあまり行かない。迷いに迷った末、やはりBunkamuraにたどり着いてしまう。人もいっぱいいるしナニが何だか分からなくなってきたので今日はもう絵を見て帰ってしまおう!という気持ちが一瞬首をもたげる。間違った振りをして「下北沢」に行くのもありだ、あっちなら余裕で知っている、とさえ思った。しかし、目の前にコンビニがあったので時間に追われながらも「悪魔の計算機」と呼ばれるわたしの頭脳は「ぴあ」で探せばいいじゃん!という模範解答をはじき出すことに成功する。「ぴあ」をおっぴろげるとこのザンギリ頭の超男性、爽やかな春風が良く似合う未だ独身は「屋根裏」を見つけ「ほう、ほほう、ここか!」と驚嘆の声を上げる。別に初めて行くわけではないのでさっぱり分からないわけではないのだが、あの辺りは何度行っても分からない。中華街と一緒だ。店の前に着くと「そうだよ、ここだよ。ここ。」どうして迷うのか不思議だ。そういえば昔、上野の辺りをブラブラ歩いていて道に迷ってしまい、その時もナニが何だか分からなくなって通りすがりの人に「ここはドコデスカ?」と聞いたことがある。今思うと、紙一重の質問だ。何某かの中毒患者が病院を抜け出してきたのか?と疑われても不思議ではない。しかし、町の名前を教えてもらってもそこが何処だか分からずに途方にくれてしまい、涙目になりながら何時間も歩き回った記憶がある。その時のことを思い起こせば本日の対処がいかに懸命な処置であり、私自身を喜ばせたことか、お分かり頂けるだろう。店の入り口でどういう訳か昨日も横浜アリーナで一緒だったボロキチのボーカルのサニーボーヤと出くわす。二人で仲良く、ダーク・ザ・ジャイアントのデスマッチを観戦する。本日は数発のボムを投下された格好となった。ポップで激しい演奏を堪能すると極度の飢えを感じ始め、飯を喰らう。その後、その席で「愛だけでいい会」第一回ミーティングを行う。珈琲を3杯も飲んだ。家に帰ってからも珈琲。今も珈琲。寝る直前まで珈琲。

ストーンズ公演

本日は半ばあきらめかけていたストーンズ公演に友人たちのお陰で足を運ぶことが出来ました。なんという有難きご処置、感謝の念に耐えません。あぁ、前回、ストーンズを見たのは何年前でございましょう。あの時はドームの後方の後方、ミック、キース共に米粒状態だったのですが今回の横浜アリーナの席は大分近いところで歴戦の勇者たちのご尊顔の皺までもが拝見することが出来る距離、とまでは申しませんが「おぉぉぉ、こんなに近いのぉぉぉぉ、ひぃぃぃぃ、アリーナっていいね、アリーナっていいね。」と連呼する始末。古いBLUESがなり終わると、「Street Fighting Man」が鳴り響き、年を取ることを忘れた4人の怪物たちが登場しました。始まった!ミックの動きは切れているし、キースもとても60近いという動きには見えません。気持ちロニーのギターの音が小さい気がしましたが楽しそうにギターを弾いています。あぁ、そしてチャーリーはとてもワッツで良かったです。わたしはチャーリーのドラムが大好きで机などそこら辺のものを叩くときにいつもチャーリーの真似をしていたものでございます。しかし、相変わらずキースのギタータッチング?の様は美しくとても興奮いたしました。あの独特のリズムのはじき出し方はわたしも幼少の頃より憧れ、練習をしない荒法師と呼ばれるわたしでもあのリズムの出し方だけは一生懸命に学んだものでございます。「Slipping Away」が聞こえたときにわたしの感情は極度に高まり、わたしの頭の中を数々の思い出が駆け巡りました。以前、わたしのテレキャスターはオープンGでいつも5弦しかなかったこと。そしていつもカポをつけて弾いていたこと。大体、あの時に「Jumpin’ Jack Flash」を聞いていなければわたしはバンドさえやっていなかったであろうこと。やがてステージをアリーナの中央辺りに変えると「Mannish Boy」が始まった!あぁ、マディ・ウォーターズも聞きたくなってきた今日この頃でございます。。しかし、この夢のような時間もそろそろ終わりに近づいています。最後は「Jumpin’ Jack Flash」。わたしはその後も興奮冷めやらず、本日は聞くことが出来なかった「Little T & A」を口ずさみながら家路に着いたのでございます。今日は最高に「Happy」な一日でございました。

昨夜の新宿JAM

太陽が昇り始めつつある。わたしはいつもの日課であるスポーツ新聞のチェックを珈琲片手に終えると 無言のままヘッドフォンを装着した。THE DAMNEDを大音量でぶちかます。「NEAT NEAT NEAT!、NEAT NEAT NEAT!」、 わたしは小刻みに震えながらそれが半ば痙攣と呼ばれるナニに変化するまで永続的に連呼する。 それからわたしの脳髄は昨夜の新宿JAMでの淫靡な景色へと移行し始めた。昨夜の襲撃場所は新宿JAMという 小屋であった。我々は今回は騎馬隊として突入を敢行。3番隊としての突撃である。 息詰まる白兵戦が続き、刺しつ刺されつ、本日の戦闘は終了した。演奏を終え、次のバンドのパパイア・パラノイア を見ている時にお客様からビールをゴチになる。一度、頂戴したら最後まで頂くのが男子の本懐である。 わたしはジョッキを略奪し、その全てをわたしの体内に取り込むと酔いどれ天使と化し店内をさまよい歩いた。 やがて全てのバンドの演奏が終わると ギターで自己分裂と細胞分裂を行うボブ殿のお誕生会に出席する。ケーキも準備され完璧なお誕生会。 彼の目に涙がうっすらと浮かんだのを見たのはわたしだけであろうか?いずれにせよ、 これで彼もSweet Little Sixteenの仲間入り。 アメリカだったら車の免許が取れるところだ。やったな。夜を徹してのお誕生会は彼を愛する者どもの間で つつがなく行われる。席上、ボブ殿も参加している「四ツ谷会」という団体に対抗し「愛だけでいい会」という 団体を設立することにした。「四ツ谷会」の強力メンバーに対しこちらの構成員は現在、わたしと ダーク・ザ・ジャイアントのケースケ殿のわずか2名である。今は小さな団体だがいつの日か「王道」を名乗り 「四ツ谷会」と交流戦なども行わねばなるまい。リアルなファイトの中にも「反則は5秒までならいいんだぜ!」的な 破廉恥行為も含みつつ、華やかに、そして軽やかに、あぁ、そうだ。それに・・・もう、いいか。 帰り道、ボブ殿が突然、「これからはおれをファラオと呼べ!」と手足をバタバタさせながら言い出す。 その目が本気だったのでわたしは彼の主張を認めることにした。ダビデチオでファラオ。素晴らしい。しかし、 音的にはもはやギリギリのラインだ。あぁ、危うい。

U・F・O CLUBにナニを

本日は高円寺のU・F・O CLUBにナニをしにいく。破壊工作に似た例のアレである。 演奏前にシーモア殿と高円寺の商店街を散策をする。 セルジュ・ゲンズブールが載っているレコードコレクターズの古いのを購入し、道すがら見つけた 小さくてオシャレなケーキ屋さんで男二匹、廉恥行為を連発する。いつまでもそうしていたい欲望にとらわれたが U・F・Oという名の小屋に開演前には戻る。我らの出番は最後でいつものようにロック爆弾を投下する。 アンコールという突発的な事件が起こり、1曲追加で全9曲、演奏する。普段より多い投下数だ。 とても暑い。破廉恥だ。Mr.クール、ザ・アイスマン、氷の微笑み、最後の戦国武将、ゲシュタポの生き残りと呼ばれる わたしですら汗をかいた。本日は宴会はなし。今週の金曜日には新宿JAMに凄惨な景色が展開されることであろう。 雷の音と共に始まった今年の春全開の初日はこのようにして幕を閉じた。