高円寺UFOにボロキチ

昨日は高円寺UFOにボロキチのライブを見に行って来た。本来なら昨日書いてこその日記なのであるがそれを体調が許さなかったのである。そこで今、つらつらと書いている訳である。昨日はVega Pop, COCOON PITも見たかったのだがボロキチ、犬風と見たところで帰ってしまった。ボロキチは最初の一曲目はカーテンが閉まったままだった。故障かな?と思ったがそうではないらしい。最初から見たかった、という声もあったがわたしはいい感じに思えた。入場行進のテーマみたいだったし、あの勿体ぶった感じはJBのようでもあったからだ。カーテンの隙間から人形が出てきて躍らせても良かった気がする。あれが上に開くのであれば、全員が網タイツを履いて足元だけ見せて客を挑発するという手もある。その場合、全身のイメージとしてはバニーガールでなくてはいけない。腰の辺りまでカーテンを上げ、まだかまだか、とじらす男衆。高いハイヒールに網タイツ。そしてカーテンが全開で開いたときには全員がバニーガール!最高の興奮と絶叫が約束されること請け合いだ。あぁ、今度是非、挑戦したい。少し遅れて始まったのだが演奏中に客は増えだし、店の中はどんどん暑くなっていった。興奮のるつぼだ。わたしはその後、犬風を見ると帰路に着いた。前後不覚のまま歩き、駅で反対側行きの電車に乗りそうになった。睡眠不足と極度の疲労とイヤラシ仮面の呪いである。わたしは家に着き「Come on Eileen」を流すと彫りかけの鯰を傍へ押しやり、研水を新しくして更に鋭い明日の小刀を瀏々と研いだ。

ローソクあれこれ

酒を飲みながら話をしていた時にローソクが出てきて、それを見た途端、かつてローソクにはまっていたことを思い出した。ローソクといっても別にそういう訳ではない。土、日、月と続く連休のさなか料金を払うのを忘れていたら電気を止められてしまい、困ってしまった。家に着くと陽は暮れていたので部屋の中はもう真っ暗だ。そこでローソクを買いに行った。普段はそういう趣味もないのでローソク売り場というものに馴染みがなかったのだが行ってみると、極細のものや極太のもの、香り付きのものや色とりどりのものなど、様々な種類があり買うのに迷ってしまった。そしてそういう場所には何故か知らないが女性が多い。”あら、いい香り”、”ちょっと、ちょっと、これ可愛くない?”などとやっている。そういう場所で事情が事情な男一匹は目をぎらつかせ、「実用的な一本」を探しているのである。多少、挙動不審なこの男は一本、一本を手に取り、下から上へ舐めるように見つめ、”あぁ、これは何時間くらい持つのだろう?”、”あぁ、これは太過ぎる”などと言っている。今、思えばしかるべき場所に突き出されなかったのが不思議なくらいだ。しかし、長いこと吟味していると「実用的な一本」などを買うよりも綺麗な色で良い香りがするものの方が欲しくなってきた。素敵なローソク立ても欲しい。そうすると、ドライ・ハーブやらオイル・ハーブなども目に付いてくる。結局、赤、ピンク、黄色のローソクを2本ずつとローズのドライ・ハーブを買った。真っ暗な部屋に帰るとわたしはローソクに火を点し、部屋の至る所にローソクを置いた。暗闇で揺れる炎は何時間見ていても飽きない。それにこの絶妙な明るさは何とも言えない味がある。電気を付けているよりもよっぽどいい。わたしは静かな明かりの中でギターを弾き、ロマンチックな気分になった。やがて弟が帰って来た。ドアを開け、暗い部屋の中に入り、ローソクに照らされているわたしと目が合うと一言も発せずにまたドアを開け、出て行ってしまった。彼はその日、帰ってこなかった。あの時の事について彼は未だに何も聞かない。 

武蔵境スタット

今朝、Rock’n Roll Babylonの都より太陽の光とともに無事生還した我々は躊躇することなく、武蔵境へと足を運んだ。更なる破壊工作を実施するためである。本日、破壊工作を供に進める師団の数は6にも及んだ。これは2・22、ゾロ目のジンジン、ボロキチのギターを務める彼の作戦である。我らはダーク・ザ・ジャイアントの次、 5番目の出演となる。今回は絵描きのオオカワ氏が我々の演奏に合わせてその場でリアルタイムで絵を描くという実験的な試みを行う。そして我々はいつものようにROCK爆弾をぶっ放す。演奏終了後、完成した作品は無残にも引き裂かれる運命にあった。これは絵画を音楽と同じように扱ってみたのである。絵筆が動くのを止めた時、そこにはもはや音は存在しない。しかし、今回は作業スペースの確保が難しく、店の中もお客が多数いたためにオオカワ氏も難儀であったろう。今回、この提案に快く参加してくれた氏に感謝。最後はボロキチが登場。ハイテンポなロケンロー、ボーカルのサニーボーヤのパフォーマンスは初期のストーンズを思わせる。店内興奮のまま終了。その後、宴会。更に場所を移動し宴会。深夜には似つかわしくない大量の変人どもを擁したこの大所帯の団体は絶叫、混乱、パニック、罵声、汚辱のうちに夜の終わりを迎える。朝、どういう訳か「生ハム」をくわえているボブ殿を横目に、これまたどういう訳か「銀河鉄道999」を片手に電車に揺られているわたしの脳裏にはヘンリー・ミラーの「北回帰線」の冒頭部分がリフレインしていた。

Rock’n Roll Babylon

深夜から横浜は関内7th Avenue催されているRock’n Roll Babylonに遊びに行く。今回はWelcome Stones Night である。”ローリン”という言葉を聞いただけで視線がさまよいがちになり意味不明の言葉をブツブツとつぶやき始めてしまうわたしはやはり”ストーン”という言葉を聞いただけ落ち着きをなくし、ブルブルと震え出すことさえあるシーモア殿と潜入する。我々は入場の際に鳥井賀句氏から本日、氏が数曲歌うのだ、というトップ・シークレットを打ち明けられる。秘密を胸に秘めたまま我々はバンドのセッティング中に大音量で流れるストーンズに酔いしれる。ほどなくその時はやってきた。耳慣れたリフをギターのシャケが弾き出した。「Honky Tonk Women」だ!その時、舞台袖より賀句氏が現れ歌い出す。凄いハイ・テンションだ。マイクをブンブンと振り回す。続けざまに「Jumpin’ Jack Flash」へ。そして最後は「悪魔を憐れむ歌」。凄い豪華な選曲である。氏の異常なハイ・テンションはとどまるところを知らず、やがて怪しげな仮面を付けて踊りだした。Rock and Roll Circus のミックを思い出したのはわたし一人ではあるまい。 ”もしかすると氏はブラウン・シュガーを体内に注入したのでは・・・”そんな疑惑が一瞬脳裏をよぎったのだが曲の最後で氏は”War is over,if you want it!”というレノンの名フレーズを連呼し、「戦争反対」のメッセージを訴える。いずれにせよ、ストーンズとレノンという大胆な組み合わせがこの夜、実現したことをここに報告したい。場内大ノリで終了。シャケは格好いいなぁ、とシーモア殿と意見が一致する。次のバンドでは三宅伸治氏がVo&Gで登場。店の外までいって演奏するという離れ業を演じる。ブルース色の強いロケンローを聞かせてくれる。明日?いや今日、我々には武蔵境スタットで演奏をするという使命があるのだが、その模様は明日のこの場で詳細を報告したい。以上、Rock’n Roll Babylonからの中継を終わります。スタジオ、どーぞ。

「塩」がない

最近、記憶力の減退が非常に激しい。もう憶えていることはほとんどないのでは?という気さえする。そもそも記憶など目に見えないものなので何処かに行ってしまったり微妙に脚色されてしまっても別に構わないものなのだ、と開き直ることにした。だからといってわたしの思ひ出の全てが美しい薔薇色に染まる・・・ということも有り得ないのは不思議なところだ。ところで今日はほうれん草と本しめじのバターソテーを作ることにした。わたしはほうれん草としめじをフライパンで焼き始めるとあることに気づいた。さぁ、どうした。「塩」がない。「塩」がないのだ。「これはいかん!」わたしは近くのコンビニに「塩」を買いに行った。その道中、そういえばもうちょっと先に古本屋があるのを思い出した。そこで古本屋に行き30分ほど物色する。「これは!」と思うものがない。しかし、幸いにもわが町には古本屋が4件も存在する。しかも歩いて5分とかからない所にだ。そこで次の本屋、次の本屋、と巡り結局、「魔界衆/横山光輝」と「世界の神話伝説総解説」という本を買う。その後、駅ビルへ行きCDを物色しようとするが、結局、DVDコーナーを漁る。「カサブランカ」と「少林サッカー」と「1986W杯イングランド対アルゼンチン」が欲しくなるが、裏の解説を読んでいると買わなくてもいいような気になる。大体、これらは一度観ているのだ、ということに気づく。1階の食品売り場に行き惣菜屋さんで「煮込みハンバーグ」を買う。これはソースが美味そうだったからだ。駅ビルを出て商店街を歩く。はっ、と思い出しインスタント珈琲を買う。念のためにタバコも2箱買い万全の備えにする。レンタルビデオ屋に寄ろうとするが持ち物が多くなってきたので止める。帰り際、コンビニで牛乳を買う。途中、空を見上げると月が出ている。まだ満月ではないから狼になる必要はあるまい、などと思ったような気もする。部屋に着くと買い物を床にぶちまけ、本日の収穫モノを詳細にチェックする。2,3度チェックを繰り返すと、わたしはガックリと膝をつきうなだれる。「塩」はどこにも見当たらなかった。

平将門の墓と対決

本日は片頭痛に悩まされる。そういう場合は薬を飲んで寝てしまうことにしている。しかし、下手な時間に寝ると変な時間に起きてしまいまた生活が不規則となる。もしくはこれは何かに取り憑かれたのではないか?などという一抹の不安がないこともない。思い当たる節は山ほどある。「UFO及び心霊研究会」の調査員としてそのような危険な場所に足を踏み入れることしばし。数々の無頼な冒険がわたしの精神を蝕んでいるとしても何ら不思議はない。

以前、知人と「平将門の墓と対決しようぜ!ヒャッホー!」と上機嫌でその場所へ向かったことがある。勢い良く車に乗り込んだのはいいが、その後に予定として組み込んだ「吉野家総本山詣で」に気を取られ場所をほとんど調べずに行ってしまった。車中、「確か、東京駅の方だよ・・・」「こっちすか?」「あぁ、大体そっちだよ」「次、右っすか?」「あぁ、多分そうだよ」「どの辺なんですかね」「あぁ、もういいや、吉野家総本山に行こう!」「まじっすか?」「あ、いや、しかし、最後にここを左に曲がってみよう」「左っすね」ここに信じられないことが起こる。するとあったのだ。「将門の墓」が。こんな真夜中に行くべき場所でないのは明らかだった。「うーん、なんてこった」実はわたしはここに到着したくなかったのである。しかし、たどり着いてしまったからには弱気を見せてはならない。わたしは将門を凌駕する精神力を用いているつもりで平静を保つと恭しく手を合わせ、お辞儀をした。「そっちの調子はどうですか?色々あるでしょうがこれからも頑張ってください・・・」対決どころの騒ぎではない。我々はお祈りを済ますと素早く車に乗り込みその場所を後にした。「吉野家総本山」を攻略する意気込みはもうどこかへ消え失せていた。帰宅後、わたしが片頭痛に悩まされたかどうかは今はもう憶えてはいない。

稲荷神社

今日は稲荷神社写真を撮りに行く。狐の石像がたくさん置いてあって不気味だ。うずくまるモノや立ち上がるモノ、横目で睨みをきかすモノ。真っ昼間だというのに狐たちは大股びらきだ。神社なので辺りは大きな木に囲まれていて日差しも木漏れ日が時折差す程度である。歩いてみるとその時々で差し込む光の具合により狐達の表情が変わる。どうもこちらを見てニヤッとしているような気がしてならない。そこでこちらも見つめ返すことにする。さすがは稲荷大神様の眷属。そこら辺の狐とは比べようもないパワーだ。とは言え、こちらもただの人間ではなく完全に露出狂の気を有したニュータイプの男一匹、裸一貫、ただ今独身である。見つめ合う目と目。絡み合う地鳴りのような唸り声。そしてバタバタさせる手足。集中力が極限に達した時、不図、廻りを見渡すと仲間たちが集まりわたしを取り囲んでいる。このままでは危険だ!わたしは機転を利かせ素早く仰向けになると躊躇することなく腹ばいになり抵抗する意志がないことを彼らに知らしめた。しばしの静寂の後、彼らは囲いを解いた。辺りは最初に来たときのように木漏れ日の中でしんとしている。わたしはズボンと背中についた埃を払うと落ちているカメラを拾い上げ、振り返ることなく鳥居をくぐり神社を後にした。今晩は狐の夢を見ることだろう・・・

本日は新宿のJAM

本日は新宿のJAMで演奏しろ!との指令を受け昼過ぎに新宿に進入し破壊工作の準備を進める。台湾からのバンドも来ていた。我々は2番目に演奏。7時だというのにもうすでに人もたくさん入っていてそれに負けじとROCK爆弾をぶっ放す。今日は出演していたバンドがどれも素晴らしい。 Sister Paul、風子、そして大阪からのand young…。冷静に考えると東京でやるのは今年初めてだった、ということに今気づいた。ボロキチのメンバーがみんな来ていて愛の交歓をする。また、絵描きのオオカワ氏が来てくれた。彼とは22日のスタットで共演をする計画がある。そのための密かな作戦会議を開く。 DAVIDTIOと絵画?目くるめくアート地獄の出現が期待される。帰りに友人のワタナベと「中国史に対してどちらが愛情が深いか対決」をする。あっという間にわたしは敗北宣言を発令し全面降伏する。彼の脳みそには中国史の本がそのまま入っているということが判明する。あなおそろしや。そのワタナベから彼がお見立てしてくれたメロウな曲を集めたCDを頂戴する。曲目、演奏者共に相当にマニアックで8割方が知らない人だ。「Decidedly Fun/Peter gallway」、「Sunlight/Young bloods」、「OohChild/Valerie Carter」、「Lullaby For The FirstBorn/JesseWinchester」、「(I Love you)For The Sentimental reasons/Danny Kortchmar」が耳に残る。疲れ果てた身体にはメロウ地獄が心地良い。エレピ万歳!

新しいパソコン

最近、新しいパソコンを購入した。表向きの理由は、世に潜む悪人どもを監視し場合によっては制裁をくわえるためである、ということになっている。表向きということは裏の理由がある訳なのだがあまり大っぴらにするとわたしの世界征服の野望に支障をきたす事にもなりかねないのでハッキリは説明しない。いずれにせよ、わたしの計算に間違いがなければ現在、我が家には4台のパソコンが蠢いていることになる。そのうち2台はマックである。これらは主にアヘヘな音楽やムフフな画像をナニするために用いられる。そして新しいパソコンで何をしているかというとやっぱり、デヘヘな音楽やムホホな画像でウハウハしている毎日である。これらのマシンは同じ部屋に並べて設置してあり、4台も並んでいると何か良からぬことをしている雰囲気がプンプン漂ってくる。見ようによっては速射砲や大砲に似ているしこれらのマシンにプリンタ、スキャナを加えるとそれは一つの要塞だ。差し詰めわたしは全てを操る司令官と言えよう。しかし、油断してはいけない。パソコンという奴らは絶対に忘れない記憶力と膨大なデータを所有している。しかも司令官殿は容赦なく無理難題を押し付け、休む暇もなく強制労働をさせているのだ。いつ反乱を起こすか、油断も隙もありゃしない。わたしは時折夢想する。こいつらが一致団結し司令官に反抗を開始したらどうなるか?とても敵わない。わたしの極秘データは流出し、わたしは恥と汚辱にまみれ、後ろ指を差されつつ場合によっては夜寝ている間に感電死などさせられるかもしれない。恐ろしいことだ。そこで司令官は最悪の場合に備え、ある一つの手段を見出した。全てのパソコンの電源を一つの差込口に蛸足で接続させた。危険ではあるが致し方あるまい。家には4つのブレーカーがあるのだが、その一つにパソコンの電気供給を集中させたのだ。何かあれば司令官はそのブレーカーを落とせば良いのだ。パソコン!などと威張ってはいても所詮、電気がなければただの箱である。司令官は一つの解決策を見出すと自らの策略に酔いしれた。

悪魔辞典

「悪魔辞典」を購入。これはなかなかヘビーでワクワクする本である。あまりにも数が多すぎて一人(?)一人の 悪魔に割り振られているスペースが少ないのだが致し方あるまい。世界の神話は勿論、宗教、伝説、フィクションの 悪魔までもが入り乱れて、その数は456。これは楽しい。世界の神話辞典と並んでわたしの夜のお供になりそうだ。こういうものは寝る前にじっと見ていると興奮して眠れなくなる。。 人間の恐怖とは一体、何に根ざしているのであろう?実はわたしは窓が少しだけ開いていたり襖が少しだけ開いていたりするのがたまらなく嫌だ。そこの隙間から何かがわたしをじっと見ているような気がするからだ。顔を正面に向けていてそれに気づいた場合には躊躇することなく閉める。または完全に開けてしまう。わたしの後ろの戸が少しだけ開いていると感じるときにはわたしは絶対に後ろを振り返らない。目が合ったらどうするのだ?しかし、万が一、目が合っても心配するには及ばない。わたしは自分がそのような得体の知れないものよりも強い力を持っていることを知っている。最悪の場合には「陀羅尼、陀羅尼、陀羅尼」と唱えればよい。わたしは金縛りにあった時などは幼少の頃よりそうしている。

ところでわたしの実弟はその肉体美故か、風呂場を数度のぞかれている。のぞいている人間と目が合ったこともあるそうだ。季節は夏で窓を少し開けたまま入浴していたらしい。不図、目を窓のほうに遣るとギョロッと動くものがある。よくよく見るとそれが人間の目玉であることが分かったのだそうだ。その瞬間、声も上げずにお互い目を合わせたまま、しばし固まったらしい。わたしは風呂上りの弟からその話を聞いたときに羨ましい、と思ったことを憶えている。読みかけの本を閉じもせずにわたしは弟に尋ねた。「きみはのぞくのとのぞかれるのどっちがいい?」弟は少しためらった後で恥ずかしそうに言った。「のぞく方がいいかな・・どちらかと言えば・・・」わたしは「そうかい、それでは災難だったな。」

わたしにはのぞき趣味の醍醐味は分からない。わたしはどちらかといえば・・・いや、明らかに露出狂の部類に属するからである。ともするとわたしの隙間に対する恐怖も心の深い部分での願望が間違った形で現れたものなのだろうか?