今回わたしは3週間もの間、「病院」という健康な日常生活からはほど遠い世界で過ごして来た。時折現れる幻覚、絶望にも似た不安、あきらめ、高熱を伴う頭痛の数々。いつ自暴自棄になっても不思議ではなかったわたしを救ったものは一体何だったのか?持ち前の不撓不屈の精神?ダンディズムの妙?それともセクシャルなジョーク?いや、違うのだ。おぉ、友よ、全く違うのだ。それこそは家族、恋人、友人という大切な人たちの大いなる愛。包むような愛。。。。愛。。。おぉ、なんてことだ。まさしくそれこそは愛そのものであった。。。
「神経病棟:激動の21日~愛もしくはそれとの間で」
3/10の夜まで風邪だと思い床に伏せていた。だが、夜中になり激しい頭痛が襲って来た。それは今までに経験したことのない痛みであった。氷を当てたがどうにもならず、わたしは痛みのあまり手に取れる漫画本を握りしめバンバンと床を叩いた。こうなってくると意識はもう定かではない。楽しかった日々が脳裏に浮かんでは消えた。
「これはどうにもなりもはん。頭は痛いし、体は熱いし。。。もう、いいや。おれ、どうなったっていいや」そう思った時である。「まぁ、なんて熱でしょう!こんなに身体が熱くなって!これはいけませんわ。救急車を呼ばなくちゃ」”こんな夜中に一体、誰が?女神?あぁ、そうだ!女神が助けに来てくれたんだ!”わたしは痛みの中で幻を見ていたのだろうか?いや、しかしそれは幻ではなかった。
そのうち「あら、どうしてつながらないのかしら。救急車って116じゃないの?」などという言葉も聞こえたからだ。”あれ?女神?”最後の希望も打ち砕かれ、わたしは思考を持たない肉のかたまりになりかけた。その時である。救急車のサイレンが聞こえ、わたしは肩をかつがれながら車の中へと連れ込まれた。「名前は?」「誕生日は?」等々、救急隊員に聞かれた気もするがよく覚えていない。痛みに耐えかねてわたしはただ子供のように「痛い、頭が痛い」を連発していた。そんなこんなで病院に着く。しかし、医者は出てこないし、看護婦さんに「あら、失敗、うふふ」などと言われながら何度も点滴の針を刺すのを失敗された。「血管が細すぎますよ」とも言われた。後で聞くところによるとわたしはうわ言を連発していたらしい。
自分の頭をプンスカのポーズで叩き、ベッドを蹴飛ばし、「おれは自由だ!」と叫び暴れまくったらしい。CTスキャンまでやったあげくに、「インフルエンザではないですね」と言われ帰された。
わたしは明け方、家に着くと半ば気を失ったかのように眠りに落ちた。
夢も見ないような深く短い眠りへ。
目が覚めると駅前の病院に行った。診察をしてもらうと「これはインフルエンザではありません!もっと別なヤバいヤツです!」ということになりまたもや救急車に乗り大きな病院へと運ばれた。
2回目の救急車ということもあり、「あぁ、ここに寝るのですね。その場合、目をつむるのですね。それと年齢、氏名、住所を言えばいいですか?なんせ昨日も乗りましたからね。知ってますよ、そのくらい。星座は聞かないのですか?あぁ、いいんですか。朝からお手数をかけてすみませんね。よし、じゃぁ、わたしのとっておきの歌を歌いましょう。。。」
内心ではそういうつもりだったが、どうやらそういうことにはなっていなかったらしく、ただうめいていただけらしい。こういうものは全てうわ言として別な形で現れたようだ。
そのまま意識を失い、気がつくとベッドの上に横たわり、点滴をしている状態であった。外はもう暗くなっていて両親やJ三郎、恋人や女神や13人の妖精がいた。わたしは「ここはどこだね?」と尋ねた。「おや、意識が戻ったようだぞ、良かった、良かった」という声が聞こえた。しかし、わたしは話すのも億劫になっていて天井を眺めていた。それが段々とうずを巻いたり、極彩色に変わったりしているのでじーっと見ていても飽きなかった。夜中、トイレに行きたくなり、ついいつもの調子でベッドから飛び降り歩こうとすると点滴の台が倒れて針は抜けて血が飛び散りエラいことになった。しかもまともに歩けずにフラフラしてしまい、帰りは別な病室の前で仁王立ちしそこの病人を威嚇していたところをJ三郎に取り押さえられた。
それ以来、わたしが妙な動きをするだけで看護婦さんが駆けつける罠(トラップ)を仕掛けられるようになった。次の日、医者が現れ、
「どこから記憶がありますか?性格は変わった感じがしますか?」
と質問された。
「ええ、夕べから記憶があります。その前はありません。性格的にはどうでしょうか?ずば抜けて恐ろしい存在になったような気がします」医者は「エッツ!」と声を上げた。
わたしは繰り返した。「そうです。ずば抜けて恐ろしい。。。」
話がどこまで進んでいたかと言うと。。。そう、わたしはずば抜けたナニになったんだったな。しかし、それもそういう気がしただけだった。意識が戻ると頭への激痛に耐えかね幻覚を見たり、暴れたり、放送禁止用語などを連発したりした。食事は4、5日何も食べることが出来なかった。これは病気の症状に嘔吐も含まれているために喉に詰まらせたりなんだりという危険を防ぐためらしいが、そのお陰で「あー、頭が痛い!痛い!腹が減った!痛い!割れるように減った!」と叫ぶ始末となる。点滴は風呂桶3杯分くらいの量を身体に注入した。薬と栄養剤である。栄養剤から栄養を摂取しているので食物を取る必要がないのだが胃は空なので空腹感を覚えるのだ。最初個室からやがて脳神経の病棟に移った。そこは脳梗塞とかその関係の病人ばかりなので老人が多く、日中から夜通し身体も動かさずにジーッとしている人ばかりだ。
わたしは1週間もすると動くことが出来るようになったので毎日、病院内を散歩し、持ち込んだパソコンでチェスをやり、エロティックな言葉を書き付けたり、やたら読書をしたり、テレビで相撲を見たり、看護婦さんに卑猥な言葉を投げつけたり、投げ返されたり、俳句を詠んだりしていた。時には屋上で雲の流れを観察したりもした。副院長がそういうわたしの様子を見に来て驚いていた。「うーむ、ここに運ばれて来た時には脳までやられたと思っていましたが、素晴らしい回復力です」「えぇ、おかげさまで」「やはり、早期発見と若さですな。強靭な肉体です!強靭な精神です!」とズバリ言い切った。
「ええ、まさしくそうですが、ここまではっきり言われると少々なんですな!うわっはっはは」わたしは恐るべき回復力と生命力を持っていたのだ。
入院生活だが夜は9時半に消灯になり朝は6時に起きた。随分とゆったりしていたようだが、血液検査をするための注射と髄液の検査をするために背中からやられる注射には参った。「来週の月曜にアレをやりますから」と1週間前に医者に言われただけでわたしはガックリとなってしまった。それをいわれた瞬間、「強靭」などという言葉はどこかに消えた。背骨の間に針をさされ、髄液を取ると1時間は安静にして、枕なしに顔をベッドに埋めジッとしていなければならない。髄液にいる細菌の数をチェックするのだが、どうしてこれほどまで医学が発達した現代においてああいうことをしなければならんのか!とわたしは怒りに震え、怖くて泣いた。実際の処置は15分ほどで終わるのだが神経を触られているような感じがしてそれがたまらなく嫌だった。最初2000あった細菌は最終的には15くらいになった。入院してからどれくらい経ったのだろうか?もう正確に思い出すことは出来ないが、あれはある晴れた天気のいい午後であったような気がする。医者がわたしのベッドに来て囁いた。「細菌は全滅ではない。。。のですが。。。まぁ。。。いいでしょう。。。。」「えっ!いいっていうのは、つまり。。。」
「そうです。明日、退院です。今日でもいいのですが」その言葉を聞くと「それならば今日にしてください!もう今日以外は嫌です!嫌だ、嫌だ、今日じゃなきゃ嫌なのー!」と入院以来、幼児化しわがままになっていたわたしはベッドを叩き、首をブンブンと振って駄々をこねた。

